ピンチの後にチャンス無い!

 写真画像の示し方が不案内で迷惑をかけていたら御容赦下さい。

 この「腐りかけの」家は、元々、長屋の一部でして、次第に周りの家屋が削られていって、両隣だけになった頃、このブロックの中央に鎮座ましましていた地主(これでも上ものは持ち家で、地代4444円を払っていたのですが、この金額、通称「大家さん」の嫌がらせでしょうか?)が、南港通り沿いに、当時流行りの等価交換方式で「マンション」なるものを建てた後、色々あったらしく、結局、その御殿のような家も取り壊され、同様の別の建物になりまして、さらに、「地面、買わんのならでてけ」といわれては、仕様が無く、ついでに建てかえることになったのです。どうせやったらと、四階建てで設計してもらい、上棟式も済んだのち、裏の集合住宅の住人の役所への「タレコミ」で、階段室を残して、最上部分の溶接済み鉄骨切断の憂き目。そりゃ、南側に、日陰の原因に参加する(追い出されはった元の西隣には3階建ての建売住宅ができ、植木好きの住人が転居してきましたし、東隣は、さらに東の住人が土地を併呑し2階建てになってます。)マッチ棒みたいでも一戸建てを、毎日、仰ぎ見るようになりたはないと思わんこともないですけどねぇ。てな、経緯で、各階の天井が低いのですが、ルート3mの身には十分、かえって、暖房費が節約でき、予定していた駐車場もなくなり、無駄な個人乗用車にも手を出さずに済んで、悪いこと一方でもないようです。ただ、直近の住人は、入れ替わり立ち代わり、碌なモンが居らんのは、もう四半世紀も続いていますが…。

 この環境変化で、数少ない良かったことの一つが、真裏に郵便局と大きい海水槽のある鮮魚店がテナントで入ってたことくらいですか。魚屋さんは最近閉店してしまい、郵便局は、それより前に、ちょっと遠くなってしまいました。旧柴谷線(もっと前は、「十三間道路」ちゅうてました)からも奥まったところで、中途半端に遠くて、自転車で行きにくい場所に移転。最初、行き着くまでに遭難しそうになったくらいです。その路地みたいな道沿いで、最近、このポスター発見! さて、この辺りは、どんな場所なんやろう? この会は連絡先も明かせない秘密結社なんやろか? 想像はいよいよ広がります…
 こんなこと、ありがち探検隊!